2025/12/20 23:13

こんばんは、みゆうです🌙
今日、祖父の百か日を行いました!
早くも百か日、改めて養鶏を続けるという意味を私なりに、改めて考えてみました。
祖父は「さかもと養鶏」の初代。
今日は、そんな祖父の時代から、今の私たちまで
さかもと養鶏の歴史を少し振り返ってみたいと思います🐓
🐣祖父の時代:養鶏のはじまり

もともと、うちの家業はぶどうとトマト農家でした。
それが、ひいおじいさんが養鶏場で出稼ぎをしたことをきっかけに、
「自分たちでも養鶏場をやってみよう」と始まったのが最初です。
祖父の時代は、養鶏バブル期。
卵を生産すればするほど売れて、利益が出る時代。
その頃の五條市には、なんと約40件もの養鶏場があったそうです。
🥚 父の時代:氷河期と挑戦

そして父が継いだ頃は、いわゆる“氷河期”のような時代。
卵価(卵の市場価格)が暴落し、生産してもしても赤字。
「たくさん作っても儲からない」そんな厳しい現実に直面していました。
それでも父は、鶏舎の老朽化を機に
「薄利多売」→「こだわりの卵づくり」へと大きく舵を切りました。
当時としては、かなり勇気のいる決断だったと思います。
🌾 そして、いま——三代目の想い

現在は、父が目指した“こだわり卵の生産”を、
私たち家族が受け継いでいます。
ただ、この数年で、物価も人件費も上昇。
固定費はどんどん増えるのに、価格はなかなか上げられない。
コスト削減をしても追いつかない現状に、正直焦りも感じます。
ニュースでも「卵不足」や「鳥インフル」「猛暑の影響」が
頻繁に取り上げられていますが、
それは現場では本当に深刻な問題です。
もし来年、鳥インフルの影響が少なければ卵価は下がる。
でも、それではまた多くの養鶏場が苦しむ。
60年前に40件あった養鶏場も、
今では五條市でわずか4件だけになってしまいました。
それだけ、この仕事を続けることがどれほど難しいかを痛感します。
(正直、「おこめ券みたいに、卵券」みたいな支援制度があれば…と思うことも🥲)
昔は政治なんて遠い存在に感じていましたが、
今は「仕組みを理解しないと」と思うようになりました。
祖父や父が築いてきたこの養鶏場を、
次の世代につなぐために
まずは、持続可能な価格で生産を続けられる環境を守ることが大切。
毎日欠かさず鶏舎の見回り、糞処理。
決して綺麗な仕事ではないけれど、
この仕事で育ててもらったからこそ、感謝の気持ちを込めて続けています。
そして、私も姉も子育て期真っ只中。

甥っ子3歳になりました!
たくさんの人に支えられながら、今年で10年。
ここまで続けてこられたこと、本当にありがたいです。
おじい、おとん。
どうかお空で喧嘩せずに、私たちを見守っていてね🕊️
農業女子のコツコツ日記を配信中📓
日々の暮らし、鶏や卵のこと、そして家族のことを綴っています。
